百人一首

小学4年生のころ、担任が百人一首好きな先生で、国語の時間は約半年間、百人一首ばかりやっていました。時代なのか、今振り返ってもよくクレームにならなかったなと思います。隣のクラスなどは授業中に「いにしえの~」とか聞こえてきますし、かるたは取るとき音がすごいので授業どころではなかったはずです。

当然、テスト範囲も終わるはずがなく、ある種の予習が求められましたので、小4の時点で漢字や語句などを辞書を引きながら調べる習慣が身につきました。また、古文に興味を持つきっかけにもなりましたし、かるたがうまくなりたかったので、百人一首は当時すべて覚えてしまい、今でもまだ覚えています。今振り返ると、先生はこれを狙っていたのかもしれませんが、個人的に非常に感謝しています。

そんな百人一首に収められている歌で

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

作者:崇徳院(教科書に載っている保元の乱を起こして敗れた天皇)

という歌があります。

簡単に訳すと

川の流れが速いので 岩にあたって二つに分かれた川がまた合流するように 私はあなたと離れてもいつかきっとまた会おうと思います

となります。

崇徳院は乱をおこし敗れ、島流しになり冷遇を受けました。最後は髪やヒゲ、爪も伸ばし放題となり、最後は舌をかみちぎり、その血で呪いの言葉を書き失意のうちに亡くなったと言われています。

あはむとぞ思ふ→「逢わん」とぞ思う

「ん」は意志で「ぞ」は強調です。

島流しになり、愛する人とはもう会うことはできないかもしれない状況で詠んだ歌だと想像すると何とも言えない気持ちになります。

ちなみに崇徳院の死後は不吉な出来事が頻発したため、死後に日本三大怨霊の一人とされ昭和初期まで厄払いが行われていました。学問の神様「菅原道真」や「平将門」も三大怨霊です。

文法的にも「われ」は「割れ」と「別れ」の掛詞(かけことば:ひとつの言葉に2つ以上の意味を含ませる和歌の技法)、「あはむ」も「合はむ」と「逢はむ」の掛詞です。上の句全体が序詞(じょことば:ある語句を導き出すための前置きとなる言葉)にもなっています。この短い歌の中にテクニックがフル活用されていて、崇徳院は非常に才能のある人物であったことが想像できます。

百人一首は、歌を覚えるだけではなく、歌を訳して作者のエピソードを学ぶと非常に奥深いです。崇徳天皇以外でも紫式部や清少納言、天智天皇や持統天皇など中学教科書でもおなじみの人物が百人一首の作者として名を連ねていますので、興味のある方はぜひ学んでみてください。